バウハウスの人々―回想と告白 [単行本] セール中

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バウハウスの人々―回想と告白 [単行本] の 商品概要要旨(「BOOK」データベースより)マイスター(親方)、ゲゼレ(職人)、レアリング(徒弟)、それぞれのバウハウス。第一次大戦後、デザインによる社会の変革を夢見て誕生し、わずか14年間で活動を終えたこの伝説の造形学校とは、いかなる共同体だったのか。54人の当事者たちの追想がまざまざとその実際を物語る、貴重なドキュメント。目次アルフレート・アルントバウハウス落成式のあいさつ──デッサウ、1926年エッカート・ノイマン[序文]誰もが自分自身のバウハウスを持っていたヴァルター・グロピウスバウハウス理念──新しい教育基盤のための闘争ヨハネス・イッテンヴァイマール・バウハウスの重要性ブルーノ・アドラーあの頃のヴァイマールヨハネス・モルツァーン一通の手紙からゲルハルト・マルクス私のヴァイマール短期滞在フェリックス・クレーヴァイマール・バウハウスの思い出パウル・シトロエンバウハウスでのマスダスナンカール=ペーター・レールヴァイマール州立バウハウスの理念と形態とその時代アルフレート・アルントいかにしてバウハウスヘたどりついたかロベルト・ミヒェルヴァイマールの隣の家でヘルタ・ヴェッシャーバウハウス以前及び前期におけるヴァイマールの画家ハンス・ハッフェンリヒターローター・シュライヤーの舞台工房ローター・シュライヤー新たな世界への希望クルト・シュミット機械のバレエ:バウハウスの作品ヴェルナー・グレーフヴァイマール・バウハウスとデ・ステイル 1922年の構成主義者会議ジクフリート・ギーディオンヴァイマールのバウハウス週間 1923年8月フェルディナント・クラマーバウハウスと新建築ギュラ・パプ自由主義のヴァイマールサンドール・ボルトニュイクバウハウスのことゲオルク・ムッへヨハネス・イッテンの75歳の誕生日に寄せてマリアンネ・ブラント若い世代への手紙エーリヒ・リスナー1923年、バウハウスをめぐってヴァルター・デクセル「バウハウス・スタイル」――ひとつの神話エーリヒ・ブッフホルツバウハウス・バウハウス・バウハウスルー・シェーパー回顧ハインリヒ・ケーニッヒバウハウス 過去と現在ヘレーネ・ノンネ=シュミットインタビューカール・マルクスちょっとヨースト・シュミットのところでマックス・ゲプハルトバウハウスの広告とタイポグラフィーハーバート・バイヤーグロピウスへの賛辞フリッツ・ヘッセデッサウとバウハウスグンタ・シュタードラー=シュテルツルバウハウスの織物工房についてジクフリート・ギーディオンバウハウスの実用的な成果についてクサンティ・シャヴィンスキーバウハウスとその変化トゥート・シュレンマー生き生きとしたバウハウスとその舞台芸術ニーナ・カンディンスキーインタビューウルズラ・シューカンディンスキーの教室でヴィル・グローマンバウハウスと現代芸術ヨゼフ・アルバースバウハウスでの13年T・ルックス・ファイニンガーバウハウス──ある理念の絶えざる発展ハンネス・ベックマン設立の日々ルートヴィヒ・グローテバウハウスと機能主義ゲオルク・ムッへバウハウス碑文マックス・ビル継続は必然であるルチア・モホイ解釈の問題ラディスラフ・ズトナー南の隣人から見たバウハウスエミール・ラッシュバウハウスとの共同作業グスタフ・ハッセンプフルーク今日の観点から見たバウハウスハワード・ディアスタインデッサウ・バウハウスにおけるミース・ファン・デル・ローエの教師活動フランク・トゥルーデル一人のバウハウス人の思い出ピウス・E・パールアカデミーで学んだ建築学生の経験クルト・クランツバウハウスでの教育法とその後アルフレート・ホッペひとつの例リチャード・コッペシカゴのニュー・バウハウスフーベルト・ホフマン一九四五年以後のバウハウスの復活テオ・オットー理念─形態─目的─時代向井周太郎[解説]バウハウス──〈生〉の全体性への問い人名索引出版社からのコメント伝説のデザイン学校バウハウスに学んだ関係者60名が語るバウハウス人の活動と思想の真実。戦中に自由を追求した表現者の貴重な史料内容紹介第一次大戦の敗戦から間もない1919年、ドイツ・ヴァイマールに革新的な造形学校がつくられた。その名も「バウハウス(建築の家)」。創立者グロピウスの宣言「あらゆる造形活動の最終目標は建築である。建築家、彫刻家、画家たちよ、我々は手工作に戻らなければならないのだ」の言葉に触発された才能ある若者たちが、世界中からこの学校を目指してやってきた。 ドイツの伝統的な職人養成制度に倣い、教師・技術指導者・学生を、マイスター・ゲゼレ・レアリングと呼び、教師たちは知識や技術だけでなく、感覚、感情、精神にも働きかける全人的な教育を志向して、独自の授業を開発した。それゆえバウハウスでは、学生も教師も一緒になり、パーティーやお祭り、演劇や演奏会の活動にも熱中した。グロピウスの理念に応じ集まった綺羅星のごときマイスターたち、ファイニンガー、イッテン、クレー、カンディンスキー、シュレンマー、モホイ=ナジ… 誰もが芸術上新しい道を歩もうとしている人々だった。そして、この共同体に暮らす学生たちは、男子は長髪、女子はミニスカートにショートカット、襟もつけず、靴下もはかずに町を歩き、ヴァイマールの人たちから「バウハウス人」と呼ばれていた。この書には、そんなバウハウス人、55人の生き生きとした証言・追想が収められている。両大戦間期、デッサウへの移転を経て、14年の間だけ実現したこの伝説の造形学校の日々を物語る、かけがえのない記録である。著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)ノイマン,エッカート(ノイマン,エッカート/Neumann,Eckhard)1933年ケーニヒスベルク生まれ。グラフィックデザイナー、デザイン史家。マンハイム応用科学大学コミュニケーション・デザイン教授。1953年からベルリンの広告専門学校でデザインを学んだ後、1956‐57年にウルム造形大学の基礎課程を修了する。1957‐71年、フランクフルト・アム・マインのスイス・エア・ドイツ支局の広告責任者を務める。1965‐67年、ウルム造形大学でコミュニケーションの歴史を講じる。1973‐75年、ブラウンAGでコミュニケーション・デザイン部門の責任者を務め、1975‐85年には、ドイツ・デザイン協議会のデザイン促進部門の責任者を務める。2006年3月24日、フランクフルト・アム・マインにて死去向井 周太郎(ムカイ シュウタロウ)1932年東京都生まれ。デザイナー、デザイン教育者。武蔵野美術大学名誉教授。基礎デザイン学会会長。1955年、早稲田大学商学部卒業。同大学院在学中にJETROのデザイン留学制度でドイツ・ウルム造形大学の基礎課程(1956‐57年)を修了。帰国後、通産省産業工芸試験所意匠部研究生、豊口デザイン研究所所員(インダストリアル及びインテリア・デザインに従事)を経て、ウルム造形大学(1963‐64年)及びハノーファー大学(1964‐65年)のインダストリアル。デザイン研究所のフェロー。1967年、武蔵野美術大学に基礎デザイン学科を設立相沢 千加子(アイサワ チカコ)山形県生まれ。立教大学大学院文学研究科(ドイツ文学専攻)博士課程単位取得退学。1992年から二年間、ドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として、ドイツ・フランクフルト大学、およびベルリン自由大学に留学。帰国後、帝京科学大学非常勤講師などを経て、貿易会社に勤務山下 仁(ヤマシタ ヒトシ)1960年神奈川県生まれ。大阪大学大学院言語文化研究科教授。1983年、立教大学文学部卒業。同大学院文学研究科(ドイツ文学専攻)在学中にドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として二年間、ドイツ・デュースブルク大学文学部に留学。1990年に帰国後、1992年より大阪大学言語文化部専任講師を務め、2013年より現職著者についてエッカート・ノイマン (エッカートノイマン)1933-2006。ケーニヒスベルク生まれ。グラフィックデザイナー、デザイン史家。マンハイム応用科学大学コミュニケーション・デザイン教授。1953年からベルリンの広告専門学校でデザインを学んだ後、1956-57年にウルム造形大学の基礎課程を修了する。1957-71年、フランクフルト・アム・マインのスイス・エア・ドイツ支局の広告責任者を務める。1965-67年、ウルム造形大学でコミュニケーションの歴史を講じる。1973-75年、ブラウンAGでコミュニケーション・デザイン部門の責任者を務め、1957-85年には、ドイツ・デザイン協議会のデザイン促進部門の責任者を務める。主著に『1920年代の機能的なグラフィック・デザイン(Functional Graphic Design in The 20’s)』(1967)、『ハーバート・バイヤー――アメリカにおける芸術とデザイン1938-1985(Herbert Bayer. Kunst und Design in Amerika 1938-1985)』(1986)がある。2006年3月24日、フランクフルト・アム・マインにて死去。向井周太郎 (ムカイシュウタロウ)1932年東京都生まれ。デザイナー、デザイン教育者。武蔵野美術大学名誉教授。基礎デザイン学会会長。一九五五年、早稲田大学商学部卒業。同大学院在学中にJETROのデザイン留学制度でドイツ・ウルム造形大学の基礎課程(1956-57年)を修了。帰国後、通産省産業工芸試験所意匠部研究生、豊口デザイン研究所所員(インダストリアル及びインテリア・デザインに従事)を経て、ウルム造形大学(1963-64年)及びハノーファー大学(1964-65年)のインダストリアル・デザイン研究所のフェロー。1967年、武蔵野美術大学に基礎デザイン学科を設立し、デザインの領域横断的な新しいタイプの人材の育成とデザイン学の形成に力を注ぐ。著書に『かたちの詩学』(2003)『デザイン学――思索のコンステレーション』(2009)などがある。訳書に、ノイマン編『バウハウスの人々――回想と告白』(共訳、みすず書房、2018)。相沢千加子 (アイザワチカコ)山形県生まれ。立教大学大学院文学研究科(ドイツ文学専攻)博士課程単位取得退学。1992年から二年間、ドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として、ドイツ・フランクフルト大学、およびベルリン自由大学に留学。帰国後、帝京科学大学非常勤講師などを経て、貿易会社に勤務。訳書に、ノイマン編『バウハウスの人々――回想と告白』(共訳、みすず書房、2018)。山下仁 (ヤマシタヒトシ)1960年神奈川県生まれ。大阪大学大学院言語文化研究科教授。1983年、立教大学文学部卒業。同大学院文学研究科(ドイツ文学専攻)在学中にドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として二年間、ドイツ・デュースブルク大学文学部に留学。1990年に帰国後、1992年大阪大学言語文化部専任講師を務め、2013年より現職。訳書に、ノイマン編『バウハウスの人々――回想と告白』(共訳、みすず書房、2018)。バウハウスの人々―回想と告白 [単行本] の商品スペック商品仕様出版社名:みすず書房著者名:エッカート ノイマン(編)/向井 周太郎(訳)/相沢 千加子(訳)/山下 仁(訳)発行年月日:2018/12/17ISBN-10:4622087227ISBN-13:9784622087229判型:B5対象:教養発行形態:単行本内容:芸術総記言語:日本語ページ数:376ページ ※369,7P縦:21cm重量:700gその他: 原書名: Bauhaus und Bauh¨ausler〈Neumann,Eckhard〉他のみすず書房の書籍を探す書籍 みすず書房>芸術・芸能 みすず書房>芸術 みすず書房

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